大正5年(1916年)当山第10世古関義禎(こかんぎてい)和尚の代に竣工し、翌年に建仁寺管長竹田黙雷(たけだもくらい)老師を導師に入仏式が執行されました。
慈覚大師作と伝えられている平安時代の聖観世音菩薩立像です。宝永元年(1704年)に、京都西北の栂尾(とがのお)領内善妙寺村にあった高山寺末の聲實庵(しょうじつあん)が当寺に移転されたことがありました。その折にもたらされ本尊として安置されました。左手に仏性を象徴する蓮のツボミを持ち、右手をそれにかざして開花をうながす姿です。すべての人々に仏の安らぎがありますようにと願う、慈しみの仏のお祈りをあらわしています。
「心和の庭」作庭について 重森三玲(しげもりみれい)
当寺の山号に因んで命名された「心和の庭」は本堂東庭が主体であり、南庭を附随させた。東部に白壁を、南部に竹垣をめぐらし、合せて約百坪を有している。
私は本庭の設計に当って、山号の心和山が、心字の主題であるのに因んで、心字形の枯山水を意図した。さらに心字四島を、蓬莱(ほうらい)、方丈、瀛洲(えいしゅう)、壺深(こりょう)の四島に見立て、且つ又、石組を三尊石組と、七五三配石に擬した。本庭は、海島風景の庭であり、蓬莱の庭である。三尊立石の庭であり、七五三配石の庭であり、それが合して心字式の枯山水である。禅院庭園にふさわしく、簡素な庭として構成することに意を用いた。
心字の庭は、従来の古庭園、特に池庭の中にその伝承が幾庭かあるが、何れも江戸時代以後になっての伝承で、最初からの作庭意図として完成されたものは一庭もなく、特に枯山水には、その伝承のものもない。それ故最初からの作庭意図を用いた本格的な心字庭は、本庭が最初であり、他に類を見ない創作庭園である。
心はココロであって、智情意の府であり、中心の義にも用いられ、上古の池心宮の如きは、池の中島に宮殿が作られた為に称されたのであった。私はこの心字の地模様に対して、海島であり、蓬莱諸島でもある意味を含めて、洲浜形の曲線を用い、更に、山の姿の立体的な高低差と共に、心の文字の一点一画の性格をも抽象的に扱った。そこに多様の変化を表現したのである。
心字四島は、大島が蓬莱島で、最初の一点が方丈島であり、後部の小島が左から瀛洲(えいしゅう)島と壺梁(こりょう)島である。更にこれに配した石組は、大島最奥の立石(主石)が左右の二石と共に三尊石組であり、且つ本尊石である。そしてこの三尊石と共に、大島の外の四石とで七石であり、後部二島の四石と本尊石とで五石であって、七五三石を構成している。
全庭の白砂は、大海の表現であり、従って一木一草を用いない、枯山水発想の意図を尊重すると共に、禅院の庭としての風格を表現することにつとめた。
南部の竹垣は内側を心字の庭に因んで、心字を抽象的なデザインとし、外は本山に因んだ建仁寺垣である。
南庭は、旧庭の残石を用い、附属的な軽い構成の枯山水とした。なお軒内は根来式の創作軒内としたことを注意されたい。
昭和42年(1967年)に当山第11世透関和尚の依頼により重森三玲(しげもりみれい)氏が作庭しました。山号心和山にちなみ「心」の字を四島で構成し、石と砂で大自然を凝縮した枯山水様式です。
クロマツが枯死したあとに昭和49年重森三玲氏によって作庭されました。白砂台を設け石を組み金閣寺垣で囲んでいます。「心月」は心の真実を月にたとえた表現です。
光清寺の鎮守弁天堂に、牡丹の花のもとにやすむ猫と花に舞う蝶が描かれた不思議な絵馬がある。江戸時代のある夜、近辺の遊里から弦歌の音が聞こえてくると、その節につられ猫が絵馬から浮かれ出し、女性の姿に化けて踊り舞い始めた。それを見た人がいたらしく、世に「浮かれ猫」と言いはやされるようになった。時の住職松堂和尚(当山五世、1811年示寂)は不快に思い、法力で浮かれ猫を絵馬に封じ込めてしまった。その夜、衣冠束帯に威儀を正した武士が住職の夢に現れた。「私は絵馬の猫の化身です。あなたに封じ込められ不自由に耐えられません。今後は軽はずみをつつしみますので、なにとぞお許しください」と嘆願した。和尚は哀れに思い封を解いた。その後異変はなかったが、この話はいっそう世に広まり、人気商売に利益ありとされ諸芸上達を祈願する祇園島原の名妓等が参詣したという。この界隈に伝わる「出水の七不思議」の一つに数えられる。
昭和61年(1986年)に総ケヤキ造で新築されました。建仁寺管長湊素堂(みなとそどう)老師を導師に、建仁寺山内や縁故寺院の僧侶方と檀信徒が参列する落慶法要が執行されました。
大正7年に再建されました。中央に弁財天、両脇に稲荷大明神と愛宕大権現がおまつりされています。弁財天は仏教と学芸の守護神です。
鐘楼堂は昭和42年に総ケヤキ造で建立され、鐘は黄鐘調(おうじきちょう)という音色です。建仁寺管長竹田益州(たけだえきしゅう)老師の銘文の中に「萬戸心和致太平」(あらゆる人々の心がなごやかになり平和をもたらす)とあります。中門は年代不明ですが当寺で最古の建物で、扉に開基の伏見宮家家紋(十四裏菊)の透かし彫りがあります。
玄関から本堂への廊下です。ひと足ごとに「キュッ、キュッ」と鳴ります。「ウグイス張りですか」とよく聞かれるのですが、当山11世和尚は「釘がゆるんでかってに鳴り出した」と言っていました。