光清寺について

当寺は寛文9年(1669年)に臨済宗の杲山義洋禅師(こうざんぎようぜんじ)を開山とし、皇族の伏見宮貞致親王(ふしみのみやさだゆきしんのう)が御生母慈眼院殿心和光清大信女(じげんいんでんしんわこうせいだいしんにょ)の菩提のために、宮家御領地に建立されました。

宝永3年(1706年)に、貞致親王のご子息邦永(くになが)親王が改めて御祖母の法名をもって寺号とし、心和山光清寺(しんわざんこうせいじ)と称するにいたります。創建以来伏見宮家の帰依により無本寺格でしたが、明治初年に臨済宗建仁寺派に所属することになりました。明治維新の元勲岩倉具視(いわくらともみ)公の岩倉家が、かつて檀家様でありました。

当寺建立の由緒は、貞致親王の御母堂への供養のお祈りにもとづいております。以後長きにわたり檀信徒の皆様の貴重な御懇志によって、当寺の護持をさせていただいております。ここにあらためて甚深なる謝意を表すると共に、今後も皆様のご清福とご先祖のご冥福をお祈り申し上げます。

なお、檀信徒様ご参詣のための静穏な環境を保全する必要から、拝観・御朱印の受付はしておりません。何卒ご了承の程御願い申し上げます。

臨済宗とは

臨済宗は禅宗の一派です。「禅」は「瞑想」の意です。「臨済」には、「渡し場に臨む」という意があります。人間にとって重要な課題である生死の渡し場に臨むということです。人の生死、自らの生死をみつめ課題とするのです。修行は坐禅を中心とします。心のありようとして、「坐」はとらわれることのないおちつき、「禅」は心に仏を見出してゆるがないことだと言われています。足を組まなくても、おちついて仏のような深い安らぎを得られれば禅の境地であるというわけです。道場では、公案という問題を師から課され、修行僧は坐禅と作務(労働)の生活の中でこの課題に取り組みます。回答は知識によるのではなく、心身の底からこみあげてくるような境地でないと師は認められません。

当寺の本堂での法要の際、正面に「帰家」(きか)と書かれた墨跡を掲げています。大本山建仁寺管長湊素堂老大師(みなとそどうろうだいし)にいただいたものです。当山第11世和尚の遷化(せんげ)の知らせを聞かれ、御病身にもかかわらず渾身の力をこめて書かれました。苦難の旅を続けた人が、やっとわが家に帰り心底くつろいだ。そのことにたとえて、修行の末に到達した深い安らぎの境地をあらわした禅語です。また、人の死についてこの語をあらわすこともあります。人生の旅を終え、葬儀で引導(仏道への導き)が渡され冥福の祈りが捧げられれば、そのことも「帰家」だと。この墨跡こそ、臨済宗建仁寺派の信徒の私達への公案(課題)のように思えるのです。

当寺の境内に、なつかしい家に帰るような安らぎがありますよう、お祈りをささげ努めていきたく存じます。